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昭和の風景~梶原踏切周辺~ [昭和の時代_鉄道]

昭和の風景の最後は、梶原踏切で撮影した写真を紹介します。

記念入場券に始まり、田端機関区(一部尾久客車区)で撮影した写真を紹介しました。当時の風景を思い描いて頂ければ、幸いです。最後は、梶原踏切周辺で撮影した写真を紹介します。昨日同様、構図やピントが甘い点を予めご了承ください。

見通しの良かった梶原踏切の跨線橋から撮影した写真と梶原踏切の王子寄りにあるもう一つの踏切(名前は憶えていません)から撮影した写真になります。もう少し、鉄道に関する知識があれば、東北回送線や東十条で撮影できたのではと悔やんでいます。下十条電車区(北モセ)に72系電車を見に行っていたのに・・・。

☆☆ 王子寄りの踏切にて ☆☆
20系あけぼの_edited.jpg
20系北陸_edited.jpg
 ※上野に向う20系寝台客車の「北陸」と「あけぼの」です。
 ※使用車両は、14系寝台客車と24系寝台客車と違いますが、今も走り続けています。
583系はつかり_edited.jpg
 ※青森に向う583系寝台特急電車の「はつかり」です。
 ※当時、583系を使用したはつかりを「青いはつかり」と呼んでいました。
485系つばさ_edited.jpg
 ※上野に向う485系特急電車の「つばさ」です。
 ※キハ181系特急気動車の「つばさ」を撮影していないことが悔やまれます。

☆☆ 梶原踏切にて ☆☆
115系近郊電車_edited.jpg
 ※大宮方面に向う115系近郊電車です。
 ※ついこの間まで、高崎線と宇都宮線を走っていました。
167系急行電車_edited.jpg
 ※水上・長野原に向う165系急行電車の「草津・ゆけむり」です。
 ※朝の通勤時間帯に普通電車として使用されていました。これに乗るのが楽しみでしたね。
489系白山_edited.jpg
 ※上野に向う489系特急電車の「白山」です。
 ※跨線橋の踊り場から撮影しています。
あさま_edited.jpg
 ※長野に向う189系特急電車の「あさま」です。
 ※もう少し引きつけて撮影すれば良かったですね。(反省)
とき_edited.jpg
 ※上野に向う183系特急電車の「とき」です。
 ※181系特急電車を使用していた「とき」も撮影していれば良かった。
はつかり_1_edited.jpg
はつかり_2_edited.jpg
 ※上野に向う485系特急電車の「はつかり」です。
 ※当時、485系を使用したはつかりを「赤いはつかり」と呼んでいました。
EF58八甲田_edited.jpg
 ※上野に向うEF58が牽引する急行「八甲田」です。
 ※架線がEF58に被っています。大好きなEF58だけに悔やまれます。
軌道試験車_edited.jpg
 ※現尾久車両センターに留置されている「マヤ34-2004」です。
 ※現在の姿とは全く違います。補正していますが、原色に近いのではないでしょうか。

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昭和の風景~田端機関区周辺~ [昭和の時代_鉄道]

昨日の記念入場券に続き、当時撮影した写真を紹介します。

当時は、30年後に再び同じ場所で電気機関車を撮影するなんて、思いもしませんでした。そう思っていたら、それはそれでどうかと思いますが。僕の中では30年経過しているとは思っていません。記憶は薄れているものの、昨日の事のように思えます。

9/15(月)に訪れた場所とほぼ同じ場所で撮影したものです。30年前にも撮影していたのはEF65です。30年前はEF80、一昨日はEF64と相方が違いますが。EF65は余剰となり順次廃車となる予定だそうですが、30年以上も現役で客車や貨物を牽引しているのは賞賛に値すると思います。日本の鉄道技術の底力を見たという思いがありますね。まだまだ、活躍して欲しい電気機関車です。

さて、本日ご紹介する写真は、30年以上経過しているため、スキャナーで読み込んだ後補正しています。当時のままの色は再現出来ていないかと思いますが、その姿に思いを馳せて頂ければ幸いです。また、ピントが甘い、構図が悪い等、目に付くところが多く、お恥ずかしい限りです。

【EF80&EF65】
EF80&EF65_edited.jpg
 ※看板が邪魔ですね。EF80とEF65に被っています。きっとお目当てはEF65だったのでしょう。
 ※拡大するとEF80-23(?)とEF65-1027と確認できます
【EF81】
EF81_edited.jpg
 ※フレームアウトしています。構図を考えて撮影しないと。(反省)
 ※拡大するとEF81-94と確認できます。
【DD13】
DD13_edited.jpg
 ※点検中と思われるDD13です。
 ※拡大するとDD13-133と確認できます。
【EF58&EF80】
尾久客車区_1_edited.jpg
 ※田端機関区から尾久客車区を見た写真です。
 ※EF80とEF58が写っています。

記念入場券が出てきました [昭和の時代_鉄道]

古いアルバムを整理していたら「記念入場券」が出てきました。

そう言えば、昔撮影した鉄道写真はどうしたっけと古いアルバムを探して見ました。すると一冊のアルバムがクローゼットの中から出てきました。今から30年以上も昔のものです。写真は色褪せているので修正が必要ですが、記念入場券は退色はしているものの保存状態は良いようです。アルバムの台紙に直接張ってしまっている(何てことをしたんだ)ので、台紙ごとスキャナーで読み取り、その後台紙の部分を可能な限り切り取りました。

どんな記念入場券かと言うと「日本国有鉄道が昭和53年10月2日に実施した白紙ダイヤ改正(ゴーサントオ(5・3・10))」記念入場券です。記念入場券を入れる袋も保管してありました。但し、袋の裏側はわかりません。台紙から剥がすと切れてしまうと思われるので、怖くて剥がせません。(笑)

【53・10 絵入り特急ヘッドマーク 記念入場券 <上越線> 上野駅】
記念入場券_1.jpg
記念入場券_2.jpg
記念入場券_3.jpg
記念入場券_4.jpg
記念入場券_5.jpg
記念入場券_6.jpg

入場券の袋を見ると、この他にも<信越線>と<東北線・常磐線>版があったのでないかと思われます。当時の僕の小遣いでは買えなかったのでしょう。全部揃えると1,440円ですから・・・。

今、再び梶原踏切へ [昭和の時代_鉄道]

小学生の頃、電車や列車を見に行った「梶原踏切」。今、再び鉄道ファンとして訪れます。

通勤や通学の際に利用していた「梶原踏切」ですが、鉄道ファンとして訪れると見るところが違いますね。前を見て、渡ることばかり考えている通勤・通学時間帯。今日は、どんな電車や列車に会うことができるのかと思いながら過ごす、鉄道ファンとしての時間。時間の進み方も違います。

僕が小学生の頃は、小遣いからフィルムも現像代も捻出することができず、両親にその代金を出して貰っていました。(フィルムも現像代も高かった!)年に数回しか、鉄道写真は撮影できませんでしたが、それを補ってもお釣が来る環境がありました。それが、尾久客車区と田端機関区です。よく梶原踏切の跨線橋の上から、時刻表を片手に何時間も電車や列車を見ていました。入れ換え用のDD13の煙も気になりません。

今でこそ、エレベーター付きの跨線橋(さわやか橋)ですが、当時は屋根もない跨線橋でした。雨が降れば、当然ですが傘が必要です。そのため、橋の上や階段の踊り場(下り線の撮影には最適)から撮影が可能。運転手のかたに手を振ると、フォンを鳴らして頂いたこともあります。また、寝台特急や急行列車が全盛期だったので、入れ換え作業に要する時間も多く、踏切で客車が止まった客車の屋根、側面、床下、台車をじっくり見ることができました。

また、いつ自動警報機と自動遮断機が設置された第1種甲踏切になったか記憶にありませんが、僕がよく訪れていた時は、踏切保安係が遮断機を扱う有人踏切でした。(上り線の大宮寄りに踏切保安設備があった)踏切保安係のかたが接近する電車や列車に信号を現示していたのを憶えています。

さて、デジカメとビデオカメラを持って、電車と列車の撮影に「尾久車両センター」に行きます。その予定を立てながら、笑みを浮かべている自分がいます。

最近読んだ本です

埋没する国家

埋没する国家

  • 作者: 田中 直毅
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/07/16
  • メディア: 単行本



僕と京成線の出会いは [昭和の時代_鉄道]

その昔、僕が興味があった鉄道は、国鉄ではなく京成線でした。

僕が鉄道に興味を持ち始めたのが、小学校の3年生位だったと記憶しています。そのきっかけはというと母親の実家に帰省する際に乗っていた京成線です。当時、総武本線(佐倉~銚子間)は電化されておらず、単線・非電化で電車ではなく気動車が走っていました。今では、それはそれで風情があって良いと思えるのですが、小学校3年生の自分にとっては、複線で電車が走る京成線に興味を持ちました。「電車」という響きがカッコ良かった。新幹線=電車=最先端=カッコ良いという図式が成立していたのでしょう。

それに、京成線には総武本線にない、特急電車が走っていました。「開運号」です。京成千葉駅に行くのは乗車しない「開運号」でしたが、通過する町屋駅であこがれの眼差しで見ていました。自分の利用する鉄道には特急電車が走っているよと思った次第です。その後、「スカイライナー」が走ることになるのですが、「開運号」程、興味が沸きませんでした。理由は、「開運号」に使用されていた車両の外観が、自分が普段乗っている車両とそんなに変わらなかったのに対し、「スカイライナー」はそうでないので、親近感が沸かなかったからだと思います。勝手なものです。

当時、京成本線の急行電車で京成津田沼へ行き、そこで京成千葉線(各駅停車)に乗り換えていた記憶があります。町屋から急行電車に乗っていましたから。それとも京成千葉線にも急行電車があったか、このあたりは記憶が定かではありません。なにせ、二十数年以上も前の話なので。ただ、急行電車の車窓から通過駅を眺めるのが好きだったのは、今でも憶えています。千住大橋等で通過待ちをしている電車を見ると嬉しくなりました。この通過待ち電車を追い抜くということも当時の総武本線ではありませんでした。

それから数十年後、結婚して通過駅であった「お花茶屋」に2年ほど住むことになります。小学生当時は「お花茶屋」っておもしろい名の駅があるなぁ位しか思っていませんでしたが。住めば都とはよく言ったものです。「お花茶屋」は暮らしやすい街です。今でも当時のことを懐かしく思います。日中、通勤時間帯では見かけなかった、京浜急行の車両(600系)に乗ることもありました。機会があれば、家内と子どもたちと出かけたいですね。

最近読んだ本です。

私鉄探検 (ソフトバンク新書 79)

私鉄探検 (ソフトバンク新書 79)

  • 作者: 近藤 正高
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2008/06/17
  • メディア: 新書



お盆休みの風景 [昭和の時代_鉄道]

世の中、北京オリンピックの話題で持ちきりですが、お盆休みのかたもいらしゃるのでは。

今日、上野駅に着くと先週の金曜日とは違い、乗り降りする人が減っています。もっとも先週の金曜日は、山手線の池袋駅で発生した人身事故のため、山手線外回りが運転を見合わせていたので比較にはなりませんが。また、帰省すると思われる家族連れも見掛けます。自分も小学生の頃、母親の実家(房総)に帰省した事を思い出しました。

当時の帰省ルートは3つありました。
 1)荒川車庫→都電→王子→京浜東北線→秋葉原→総武緩行線→千葉→総武本線→成東
    ■このルートでは王子から千葉まで103系・千葉から成東までキハ35系でした。
    ■僕が始めて一人で遊びに行った時には、秋葉原から急行「犬吠」キハ28系に乗りました。
 2)荒川車庫→都電→町屋→京成線→京成千葉→京成バス(急行)→成東
    ■このルートが一番多かったような記憶があります。
    ■料金は1)よりも2)のルートの方が安価でした。時間はどうだったのだろうか?
 3)荒川車庫→都電→王子→京浜東北線→東京→総武快速線→千葉→総武本線→成東
    ■特急「しおさい」183系が運行されたことを契機に使用を開始しました。
    ■両親は東京地下駅まで歩くのが面倒だと言っていました。

総武本線と言えば、高崎線や宇都宮線を走っていた211系3000番台が113系の置き換え用として房総地区へ転用されましたね。まだ総武本線で走っている姿を見たことはありませんが、転出先が房総地区であることに「縁があるなぁ」と感じています。両親の実家に行く機会があれば、その姿を撮影したいですね。一方、クハ183系はもう乗ることがないと思っていましたが、2008年8月1日(金)から鉄道博物館で公開されています。(休憩や飲食可)こちらは機会を見て、子どもたちといっしょに行こうかと思います。
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今日も暑くなりそうですね [昭和の時代_鉄道]

今日の予想最高気温は昨日に続き30°になるらしい。

最高気温が30°となると通勤時に利用する電車にエアコンが設置されているとホットしますね。加えて、弱冷房車も連結されていて、体調不良の際には重宝しています。

身近な通勤車両にエアコンが設置されたのはいつだったかなと記憶を紐解くと小学生頃に京浜東北線や山手線がATC化に伴い冷房車(103系)が配備されたことを思い出しました。ATC化に伴う車両の入れ替えなので、今考えると納得するのですが、1号車と10号車のみ冷房搭載・1、2、3号車および7、8、9号車のみ冷房搭載の編成がありました。僕が経験した初めての車両入れ替えだったので、冷房搭載車両に乗りたくて時間がある時には非冷房の編成を見送っていました。

それから時がたち、高校の通学時に利用していた115系(尾久~上野間を乗車)については記憶が曖昧です。非冷房の車両があったかもしれないけいれど、冷房搭載車両に乗るため見送ることなど出来ません。そんなことをしたら、学校に遅刻するもしくは帰宅が遅くなってしまいますから。ただ、大学生の頃利用していた千代田線の営団6000系はその当時でも非冷房の編成がありました。そうなると小田急線に直通運転をした車両はどうだったのかと記憶を辿るのですが、通学経路を代々木上原経由から新宿経由に変更したこともあり、これもまた記憶が曖昧です。これでは、鉄男失格ですね。(笑)

最近読んだ本です。

電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ (中公新書 1948)

電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ (中公新書 1948)

  • 作者: 宇田 賢吉
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/05
  • メディア: 新書



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ブログタイトルの所以 [昭和の時代_鉄道]

小学生の頃よくブルートレインを見に行っていた尾久客車区(現尾久車両センター)が東京北鉄道管理局に属していたことからブログのタイトルにしました。その頃は、20系客車や10系客車が多く配置されていて、入れ替え作業中は梶原踏み切踏切が開かずの踏み切りと化していました。

当時の僕は、ブルーとレインに加えて特急気動車の「つばさ」を見ることも楽しみでした。それにまだ福島行きや一ノ関行きの列車も上野駅から発着していて、客車を牽引するEF57に魅了されたものです。そのため、鉄道模型の収集を再開した時に購入したのが、EF58(KATO)。その後、EF57(KATO)の再生産を待ち、即購入。

毎年、尾久車両センターではふれいあい鉄道フェスティバルが開催されています。一昨年は雨だったので断念したのですが、昨年は小雨だったので娘を連れて行って来ました。子どもたちは「トレインジャー」が気に入ったようです。今年も家族で行く予定ですが、今年こそ、晴れて欲しい。

最近読んだ本です。

乗りテツ大全―鉄道旅行は3度楽しめ! (平凡社新書 423)

乗りテツ大全―鉄道旅行は3度楽しめ! (平凡社新書 423)

  • 作者: 野田 隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2008/05
  • メディア: 新書



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