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僕と京成線の出会いは [昭和の時代_鉄道]

その昔、僕が興味があった鉄道は、国鉄ではなく京成線でした。

僕が鉄道に興味を持ち始めたのが、小学校の3年生位だったと記憶しています。そのきっかけはというと母親の実家に帰省する際に乗っていた京成線です。当時、総武本線(佐倉~銚子間)は電化されておらず、単線・非電化で電車ではなく気動車が走っていました。今では、それはそれで風情があって良いと思えるのですが、小学校3年生の自分にとっては、複線で電車が走る京成線に興味を持ちました。「電車」という響きがカッコ良かった。新幹線=電車=最先端=カッコ良いという図式が成立していたのでしょう。

それに、京成線には総武本線にない、特急電車が走っていました。「開運号」です。京成千葉駅に行くのは乗車しない「開運号」でしたが、通過する町屋駅であこがれの眼差しで見ていました。自分の利用する鉄道には特急電車が走っているよと思った次第です。その後、「スカイライナー」が走ることになるのですが、「開運号」程、興味が沸きませんでした。理由は、「開運号」に使用されていた車両の外観が、自分が普段乗っている車両とそんなに変わらなかったのに対し、「スカイライナー」はそうでないので、親近感が沸かなかったからだと思います。勝手なものです。

当時、京成本線の急行電車で京成津田沼へ行き、そこで京成千葉線(各駅停車)に乗り換えていた記憶があります。町屋から急行電車に乗っていましたから。それとも京成千葉線にも急行電車があったか、このあたりは記憶が定かではありません。なにせ、二十数年以上も前の話なので。ただ、急行電車の車窓から通過駅を眺めるのが好きだったのは、今でも憶えています。千住大橋等で通過待ちをしている電車を見ると嬉しくなりました。この通過待ち電車を追い抜くということも当時の総武本線ではありませんでした。

それから数十年後、結婚して通過駅であった「お花茶屋」に2年ほど住むことになります。小学生当時は「お花茶屋」っておもしろい名の駅があるなぁ位しか思っていませんでしたが。住めば都とはよく言ったものです。「お花茶屋」は暮らしやすい街です。今でも当時のことを懐かしく思います。日中、通勤時間帯では見かけなかった、京浜急行の車両(600系)に乗ることもありました。機会があれば、家内と子どもたちと出かけたいですね。

最近読んだ本です。

私鉄探検 (ソフトバンク新書 79)

私鉄探検 (ソフトバンク新書 79)

  • 作者: 近藤 正高
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2008/06/17
  • メディア: 新書



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